特集 彫刻~建築への従属(2003.8)

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 ロマネスク美術においては、教会堂そのものが神を象徴するものとして表現されました。このため、彫刻や壁画等の図像表現は必ずしも必要とされず、しかも、偶像崇拝を禁じた初期キリスト教の伝統はこれらの表現には禁欲的でした。

 ロマネスクの時代においては、建築部材を造る石工達が彫刻師でした。彼らが建築部材に装飾を施してみようと考えたとき、古代ローマの葉飾り柱頭の模倣から始めたであろうことは推測に難くありません。こうして一度び石工達が彫刻の試みを開始すると、彫刻はそれ自体の論理で可能な限りの展開を始めました。柱頭から始まり、まぐさ・タンパン・中央柱・側柱・アーキボールトといった教会堂の構成部分が彫刻で装飾されることになりました。
 しかし、石工達は彫刻を建築に取り入れようとしたのではなく、建築部材や建築の構成部分に彫刻を取り入れようとしたのであって、彫刻はあくまでも建築に従属するものとしてのみ存在を許されたのです。このため、写実は無視され、人物や動物のプロポーションは限定された空間に刻まれるため変形されました。
 しかしながら、石工達の想像力はこの不自由な空間・拘束を逆利用し、生き生きとしたロマネスクの表現を生み出したのです。

 ロマネスク彫刻の典型は、柱頭彫刻に見られます。円形の底部から方形の頂部に移行する不自然な形態に合わせて彫刻が施されるだけでなく、やがてその独特の形態を利用して変形・合成の実験が行われ、様々な怪物が登場することになります。
 横に細長い石でできている「まぐさ」に人物の立像を彫刻すると、ずんぐりした異形の人物像とならざるをえません。しかし、人物像を横臥させると官能的なエヴァの姿となります。
 半円形壁面であるタンパンに彫刻を施そうとすると、中央に垂直の彫像があることが望ましく、その左右に残されたアーチ状の三角形の空間には様々に変形された彫像がはめ込まれます。中央には当然のことながらキリストの彫像が置かれ、「キリストの昇天」「荘厳のキリスト」「最後の審判」といった大テーマが展開されます。タンパンは神の国の入口である扉口にあり、それ自体神の支配する聖なる空間であると考えられたため、ロマネスク彫刻の傑作の多くはタンパンに表現されました。
 縦に細長い中央柱・側柱には、教会を支えるという意味から使徒・聖人等の人物像が彫刻されることが多く、人物像は柱いっぱいに引き伸ばされます。フランス・モワサックのサン・ピエール修道院の中央柱にあるエレミア像ボーリューのサン・ピエール修道院の中央柱にあるアトランティス像はその傑作で、建築に従属するロマネスク彫刻の真髄を示すものです。
 扉口上部にあるアーキボールトは迫石を孤状に積みかさねることによって造られ、この迫石に彫刻が施されます。人物や動物の彫像は、迫石の描くアーキボールトの曲線に沿って配列されます。

 このように、ロマネスクの石工達は教会堂の構成部分に様々な実験を試みました。それらの実験は建築に従属するという拘束の中で行われ、その結果、逆説的にも自由で伸びやかな形態を様々に作りだしたのです。やがて彫刻が建築に従属するという拘束を捨て、建築から独立しようとしたとき、ロマネスク美術は終焉の時をむかえるのです。

 ロマネスク美術の変身は人像円柱から始まります。
 扉口の中央柱、側柱に彫られた人物像は、次第に構成部分としての柱であることを忘れ、独立の存在であることを主張するようになりました。当初は未だ柱としての枠組を離れることはなく、いわば柱の擬態となり、建築に順応しようとしています。フランス・シャルトル大聖堂の人像円柱はその典型です。
 しかし、人像円柱が彫刻であることの価値に目覚め、建築の構成部分から独立し、現実の人体へと接近していくとき、神=建築を中心としたロマネスクの時代は幕を閉じゴシックの時代へと移行するのです。
 教会堂の構成部分の拘束から自由となり、独立した作品として自立した彫刻は、本当らしさを表現することはできるようになりましたが、かえって生命力、力強さを失っていきます。それ以降、彫刻は、教会堂の構成部分として充足していた幸せな時代を二度と迎えることはないのです。

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