第2回は、エミール・マールの著作「12世紀フランスの宗教芸術―中世の図像の起源に関する研究」の第1章、第2章をガイドに、ロマネスク芸術における大彫刻の誕生と写本の影響について見ていきましょう。
1.大彫刻の誕生と写本挿絵の影響
ギリシア・ローマの彫刻が消滅して以降、何世紀にもわたって忘れられてきたモニュメンタルな彫刻が再び姿を現したのは11世紀の南フランスにおいてでした。
彫刻という芸術表現が500年以上も忘れられていた理由について、マールは、5世紀頃に、彫刻表現を主体とした自然主義的なギリシア・ローマ芸術が純粋に装飾的な芸術であるオリエント芸術に取って代わられたためであるとし、一般的に考えられているようにキリスト教会による聖像禁止によるものではないとしています。また、南フランスで復活したことについては、これらの地方にギリシア・ローマ時代に培われた造形的本能が保持されていたためであるとしています。10世紀頃、南フランスで聖遺物を入れる容器として木彫りの立体像が作られたことがありますが(コンクの聖女フォア像等)、11世紀に復活した彫刻が木彫りの立体像ではなく石の浮彫であったことから、これらの影響は考えられないとしています。
そして、当時の作家達が石の上に刻んださまざまな図像は、彼らが創造したものではなく、写本の挿絵を借用もしくは発想の源にしたものである、というのがマールの著作の主要なテーマとなっています。
彫刻復活の端緒としてマールが取り上げるのは、1065年から1080年に制作されたとされるトゥールーズのラ・ドラード修道院回廊の柱頭彫刻(オーギュスタン美術館所蔵)と、その後、同一の職人らが制作を行なったと考えられるモアサック修道院回廊の柱頭彫刻です。これらの柱頭彫刻には、新約聖書の「黙示録」と旧約聖書の「ダニエル書」に由来する主題が含まれており、同一の主題によって構成されたベアトゥスの「黙示録」註解の写本挿絵が基礎となっているとしています。
写本挿絵の影響は、モアサックのタンパン彫刻において明瞭に見ることができます。四福音書家の象徴である4つの生き物に囲まれて玉座につくキリスト、王冠をかぶり杯とヴィオールを持って坐す24人の長老、この壮大な「黙示録のキリスト」の彫刻がベアトゥスの「黙示録」註解のサン・スヴェール写本もしくはこれと極めて類似した写本の挿絵を借りたものであることは、マールよって指摘されたことです(「黙示録のキリスト」の図像はローマのモザイクやカロリング朝の写本挿絵にも見られますが、そこでは長老たちは子羊やキリストに冠を捧げる立ち姿で表わされており、モアサックのタンパンの構図とは明確に異なるものとなっています)。
ベアトゥスの「黙示録」註解の写本挿絵の影響は、モアサックだけでなくサン・ブノア・シュル・ロアール、ポアティエのサン・ティレールの柱頭彫刻等にも見ることができ、南フランスの広範な地域に及んでいます。そして、ベアトゥスの「黙示録」註解にとどまらず、ロマネスクの作家たちが、当時存在した(オリエントからもたらされ、繰り返し模写されてきた)さまざまな写本挿絵を、手本もしくは発想の源として用いていたことをマールは明らかにしました。
写本挿絵の影響を示すものとしてマールは多数の具体例を挙げていますが、MORAのデータ・ベースで見ることのできるいくつかを紹介しましょう。写本挿絵については、マールの書籍に直接あたって下さい。
- モアサック修道院回廊の角柱の使徒の浅浮彫/ アーケードの枠縁、立姿の形態、テュニックの足の線をなぞったような襞のつけかた等の特徴は写本挿絵からのものである。
- トゥールーズのオーギュスタン美術館の使徒像及び2人の女子像/ Xの形に交差させた脚、脚下の台座のうろこ状の形態等の特徴は写本挿絵からのものである。
- スイヤック扉口の中央柱/ この特異な図像は写本挿絵からのものである。
- シロス修道院回廊の角柱の十字架降下の浮彫/ 岩山を連続した小波のような形で表わすという特異な表現は写本挿絵からのものである。
- クレルモン・フェランのノートルダム・デュ・ポールの柱頭彫刻(美徳と悪徳の戦い)とタンパンの彫刻(イザヤへの神の顕現)/ 前者における美徳の戦闘的な姿、悪徳の野蛮人のような特徴的な表現、また、後者における6つの翼を持つセラフィムと全体の構図は写本挿絵からのものである。
- アルルのサン・トロフィーム扉口の3人の族長の浮彫/ 天国を象徴する3人の族長(アブラハム、イサク、ヤコブ)の図像はビザンティンの写本挿絵からのものである(フランスではアブラハム1人で天国を象徴することが一般的である)。
- サン・ジル正面のキリストの受難のフリーズ浮彫/ マールは、キリストの受難の主題は、トゥールーズのラ・ドラード修道院回廊の柱頭彫刻(オーギュスタン美術館所蔵)に初めて現れ、サン・ネクテールの柱頭等に刻まれたが、当時、南フランスに見られるだけで、ブルゴーニュを含め北フランスには皆無のものであったとし、このことから、12世紀初頭の南フランスにキリストの受難を描いた写本挿絵が存在したことが推定されるとしている。
- シャルリュー中央扉口のタンパン彫刻、ラヴォデューの壁画、パレル・モニアル美術館所蔵のアンズィ・ル・デュックのタンパン彫刻に見られる荘厳のキリスト/ 光輪に包まれたキリストが4つの生き物に囲まれて坐し、その下に聖母が左右に使徒を従えて坐しているとの「荘厳のキリスト」の図像の現存する最古のものは、6世紀、上エジプトのバウイットの壁画であるが、オリエントで生まれたこの図像が写本挿絵によって承継されたものである。
- ヴェズレー中央扉口の聖霊降臨のタンパン彫刻/ この特異な図像は写本挿絵からのものである。
- リポール扉口の浮彫彫刻/ このさまざまな場面の図像は写本挿絵からのものである。
- 北イタリアの教会堂正面にしばしば見られるライオンの背の上に立つ円柱、2本の紐を撚り合せたような柱、螺旋状の円柱(アヴァロン)、2つの半円形タンパンで分割されたタンパン(オロロン)/ これらの特異な図像は写本挿絵からのものである。
2.ロマネスク図像の複合性(ヘレニズム型とシリア型)
12世紀に存在した写本は、さまざまな時代や地域に起源をもつものに加え、模写の繰り返しにより変形されてしまったものもあり、極めて多種多様となっていたはずです。このため、ロマネスクの図像は、これら多種多様な挿絵を基礎に持つことから、定型をもたず、混乱や矛盾に満ちたものとなったとマールはいいます。
4世紀から6世紀にかけて、2つの独立したキリスト教芸術がオリエントに存在しました。ひとつは、ヘレニズムのギリシア都市であるアレキサンドリア、アンティオキア、エフェソスのキリスト教芸術であり、もうひとつはエルサレムやシリア諸地方のキリスト教芸術です。
初期キリスト教芸術は、これらのギリシア都市に住むキリスト教徒により葬礼芸術として生まれました。カタコンベの壁画から始まりローマやアルルの石棺彫刻に至るこれらの芸術は、キリストを髭のない青春期にある若者として表現したことにみられるとおり、光と美に満ちたギリシア的な古代精神の承継といってよいものでした。
一方、エルサレム周辺では、福音書の重要な舞台なった場所に壮大なモニュメントが建てられ、巡礼者が押し寄せるようになりましたが、これらの建物の内部には福音書の場面がモザイクで描かれていました。これらのモザイクは現存しませんが、その内容については、巡礼者が持ち帰りミラノ近郊のモンツァ大聖堂等に保存されている、モザイクを再現した香油瓶の浅浮彫によって窺い知ることができます。福音書の舞台となったまさにその場所で生まれたこの芸術は、現実味、地方色を帯びており、キリストは黒い髭をたくわえた壮年のシリア人として表現されています。
シリアの芸術とヘレニズムの芸術は極めて対照的なものでしたが、6世紀頃には双方が混じり合うようになります。シリアの芸術は、ヘレニズムの芸術には見られない壮大さと神秘さを持ち、加えて、公会議によって定められたキリストの生涯を現実味をもって表わすものであったことから、やがてヘレニズムの芸術を凌駕するに至ります。しかし、ヘレニズム的伝統も長く存続し、12世紀の図像の中にもその姿を見せるのです。
12世紀フランスの彫刻及び壁画と写本挿絵との影響関係を見る中から、マールは、原型となった写本挿絵等に従いヘレニズム型とシリア型の2つのタイプを抽出します。
- 受胎告知
- ヘレニズム型/ 聖母は坐って身じろぎもせずにお告げをきいており、重大な使命を一身に受け止めようとしているかのように見える。(リヨンのサン・マルタン・デネーの柱頭彫刻、アルルのサン・トロフィームの扉口彫刻と回廊の柱頭彫刻)
- シリア型/ 聖母は立ち上がってお告げをきいており、能動的な意思を表明しているかのように見える(原型はモンツァの香油瓶に見られる)。(ラ・シャリテ・シュル・ロアールの楣石彫刻、ヴェズレー右扉口のタンパン彫刻)
- 御訪問
- ヘレニズム型/ マリアとエリザベスが向かい合って立っており、慎み深い表現となっている。(モアサックの扉口彫刻、ヴェズレー右扉口のタンパン彫刻)
- シリア型/ マリアとエリザベスが互いに抱き合っており、情熱的で劇的な表現となっている(原型はモンツァの香油瓶に見られる)。
(サン・ガブリエルの扉口彫刻、アルル回廊の柱頭彫刻)
- キリスト降誕
- ヘレニズム型/ 聖母は穏やかに坐っている(この構図はロマネスクではほとんど見られない)。
- シリア型/ 牡牛と驢馬のいるまぐさ桶に幼子が横たわり、ヨセフが思いにふけって坐り、聖母は藁布団に横たわっている(原型はモンツァの香油瓶に見られる)。これに、幼子を洗う1人もしくは2人の産婆が加わり(アルル回廊の柱頭彫刻)、さらに羊飼いやマギが加わる場合もある(ヴェズレー右扉口のタンパン彫刻)。後に、横たわる聖母と幼子、ヨセフだけに簡略化され、中世の降誕図の定型となる(ブリネーの壁画)。
- マギの礼拝
- ヘレニズム型/ ひざの上に幼子を抱いた聖母が横向きに坐った姿でマギと対面する。(モアサックの扉口彫刻、ヌイイ・アン・ドンジョンのタンパン彫刻、アンズィ・ル・デュックのタンパン彫刻、ラ・シャリテ・シュル・ロアールの楣石彫刻)
- シリア型/ ひざの上に幼子を抱いた聖母が正面を向いて坐り、マギとは対面していない(原型はモンツァの香油瓶に見られる)。( サン・ジル左扉口のタンパン彫刻)
マギに関する礼拝以外の場面も、そのほとんどがシリア系の写本挿絵を手本にしていると考えられる。
馬に乗ってベツレヘムに向かうマギ(ブリネーの壁画)、ヘロデ王の前に出頭するマギ(アルルのサン・トロフィーム扉口彫刻)、眠るマギと天使(オータンの柱頭彫刻)
- キリストの洗礼
- ヘレニズム型/ 子供のような容貌をしたキリストがヨハネから洗礼を受け、河の神が姿を見せる(この構図はロマネスクではほとんど見られない)。
- シリア型/ 釣鐘状に表現された川の中に裸体を両手で覆ったキリストが立ち、左からヨハネが洗礼を施し、右に両手をヴェールで覆った1人の天使が立ち会っている(
クレルモン・フェランのノートルダム・デュ・ポールの楣石彫刻、ブリネーの壁画)。
- エルサレム入場
- ヘレニズム型/ キリストは驢馬にまたがっている。(サン・ジルの楣石彫刻、アルルの回廊の柱頭彫刻、ヴィックの壁画)
- シリア型/ キリストはオリエントの習慣に従い驢馬の上に坐った姿で表わされる。(
サン・ブノア・シュル・ロアールの柱頭彫刻)
- 弟子の足を洗う
- ヘレニズム型/ ペトロが坐って足を差し出し、キリストは身をかがめることなく立っている(この構図はロマネスクではほとんど見られない)。
- シリア型/ ペトロが坐ってたらいの水の中に足を浸け、キリストは身をかがめてペトロの足を洗う(サン・ジルの楣石彫刻、セル・シュル・シェールのフリーズ彫刻)。
- 磔刑
- ヘレニズム型/ 十字架上のキリストは、長髪で髭がなく細い下帯をつけただけの裸体で表わされる(この構図はロマネスクではほとんど見られない)。
- シリア型/ キリストは、髭を生やし足までの長いテュニックを着た姿で表わされる。さらに、十字架に向かって左に聖母と槍持ちが、右にヨハネと海綿持ちが配される(原型はモンツァの香油瓶に見られる)。後に、テュニックを着たキリストは布をつけた裸体のキリストに変わり、中世の磔刑図の定型となる(
シャンパーニュのタンパン彫刻)。
- 復活
- ヘレニズム型/ 数人の墓の番兵が眠っており、3人の聖女たちに天使がキリストの復活を告げている。(モザの柱頭彫刻)
- シリア型/ 2人の聖女たち(前に立つ聖女は吊り香炉を持っている)に、天使がキリストの復活を告げている。(原型はモンツァの香油瓶に見られる)。
- 昇天
- ヘレニズム型/ 山の頂に達しようとするキリストを雲の中から出た神の手が引き上げようとしており、弟子たちが驚きの表情で見上げている。その後、山を登る姿、神の手はなくなり、横向きで神の手を求めて両腕を差し出すキリストを、2人の天使が支えるとの構図が現われる。(
トゥールーズのサン・セルナンのタンパン彫刻、レオンのサン・イシドロのタンパン彫刻)
- シリア型/ 天空に、4人の天使に支えられた光背の中に、玉座に坐ったキリストが左手に書物を持ち右手を挙げた姿で現われ、地上に、両手を広げた姿の聖母を中心に使徒たちが立ち並んでいる(原型はモンツァの香油瓶に見られる)。この玉座に坐るキリストの構図は、ビザンティンでは主流となったが、ロマネスクではほとんど見られない。
(アンズィ・ル・デュックのタンパン彫刻。光背を支える天使は2人となっている)
その後、キリストは2人の天使に支えられた光背の中に立ち、聖母の両脇に2人の天使が使徒たちに語りかけているとの構図が現われ、ロマネスクの主流となる。(モンソー・レトアールのタンパン彫刻(地上の中心には、聖母はおらず2人の天使が立っている)。カオールのタンパン彫刻(地上の天使は消え、光背を支える2人の天使が使徒たちに語りかけている)。モーリアックのタンパン彫刻)
マールは、ロマネスクの彫刻が示すさまざまな特徴、とりわけ、体に貼り付いたような襞、胸や膝の同心円を描く襞、Xの形に交差させた脚等の特異な表現は、写本挿絵を手本にしたことにより生じたものであり、このことがロマネスクの彫刻に手本をなぞっているような不自然さを感じさせる理由となっているとしています。他方、モアサックやヴェズレーの扉口に見られる壮大な美や崇高な感情は、写本挿絵の中から見出されたものではなく、ロマネスクの時代の深い宗教感情から生まれたものであるとして、ロマネスクの彫刻家の独創性を強調しています。
以上のとおり、ロマネスクの図像は写本挿絵の借用から始まったということができますが、単なる模倣にとどまることなく、ロマネスクの時代精神によって新たな構成を生み出していくことになります。